日本社会はどんな「カニ」か

ペルーにこんな話があります。

あるペルー人がレストランで楽しく海の幸を食べた後、生きたカニを買うことにしました。カニ市場に行くと3つの壷がありました。

 ひとつ目の壷は上に大きく伸び、ふたがしてありました。

ペルー人:「このカニはどこ産?」
店員:「あ、これ米国産のカニだよ、活き活きしていてふたをしないと自分でジャンプして逃げてしまうんだ」

 ふたつ目の壷はひとつ目の壷よりも更に上に高く、ふたがしてあり、その上には重りがしてあります。

ペルー人:「こっちは何処産?」
店員:「あ、これはドイツ産のカニですよ。こいつらは厄介物で重しをしておかないとみんな協力しあって、ピラミッドを作り、フタを押し上げて一匹ずつ逃げてしまうんだ」
ペルー人:「ほ〜、すごいですね!」

驚いたことにみっつ目の壷は浅く、フタもしていない。

ペルー人:「この壷はどうしてこんなに浅いの?ふたもしてなかったらカニが逃げてしまうんじゃないの?」
店員:「心配いりません、これはペルー産です。どれかのカニが外に出ようとすると、他のカニが足を引っ張って下に突き落とすのです」
 
この例え話は数年前ペルーの新聞記事に載った時は読者を怒らせ、ペルー社会への怒りへと発展しました。
久しぶりに読んで、今の日本社会はどうなのだろうか?と考えて見ました。日本産のカニはどれに似ているのでしょうか、米国産でしょうか、ドイツ産でしょうか、あるいはペルー産でしょうか。
実はあえて間違った翻訳をしました。ドイツ産のカニは実は日本産と元記事に書いてあります。南米から見ると日本社会は重しでもしないと、だれでもアッと驚くような団結力で問題を解決し前に進むという社会なのだというイメージ(期待)があります。
しかし、壷の中を見ると今の日本社会は団結しているのでしょうか。ビジネス、政治、NGO、個人同士(特にネットでの)までもが足の引っぱりあいになっているのだと思います。外からは津波と大地震を乗り越える団結力のある日本社会が見えるのですが、日本市民自身がはそう思っているかどうかが大事なのだと思います。
いまの日本社会のいろんなピンチをどう乗り越えるか、世界が期待して見ています。

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Chileno-Japonés trabajando siempre en acercar más Japón a Latinoamérica y viceversa. 南米と日本を繋ぐ仕事をしています。