いきなりだが、僕の趣味の一つに人間ウォッチングがある。
元々、日本とリビアの両方で生活していたせいかなのか、人の違いを感じやすい性格になったみたいだ。国が違えば人の接し方も、話し方も、ボディランゲージも違う。いろんな国の中でも、特に日本はある意味特殊な国だと感じることが多々ある。
話は少しずれるかもしれないが、先月僕は仕事でモロッコとトルコに行ってきた。そこで多くの世界遺産や、観光地に訪れた。
そうすると決まって、客引きに出会う。「安いよ~、ワンダラー、これ五個でスリーダラー」などと、巧みに商品を売り付けてくる。
これは過去に訪れた事のある世界中の多くの観光地で見られる光景だと思う。
しかし、日本ではどうだろうか?
浅草、アメヨコ、または清水寺でこれらの光景を目の当たりにするだろうか?僕の答えはNOだ。
これは僕にとって非常に面白く、興味をひかれる現象の一つでもあった。同じ観光地でも海外と日本を比べるとなぜか違いで出てしまう。これを文化の違いと言ってしまえば解決するだろうが、それはあまりにも悲しい解決の方法だと思う。
僕の本当に非論理的な解釈だが、この差を生みだしている一つの原因は「人との距離」だと思う。
これから書こうとしている事以外にも山ほど理由は有るにせよ、僕が感じる大きな原因の一つはこれだと感じている。
この「人との距離」は日常的にどれだけ知らない人と話している国なのか、地域なのかによると思う。
例えば、僕が日本で日常的に生活していて、知らない人に話しかけらる頻度は数えられるくらいだろう。しかし、先月の出張では本当に毎日、下手すれば毎時人に話しかけ、話しかけられていた。
カフェで座っていても、「やー、どっからきたの?」等と話しかけられる。みなさんも海外では良く経験することだと思う。
しかし、日本でそんな事を経験した事はあまりない。
つまり、日本以外の海外の事を海外と言ってしまうのも日本人的だが(笑)、海外では「人との距離」はほとんどゼロに近いのではないだろうか?近くに知っている人がいなければ、知らない人と話す。日本では「人との距離」が大きく、知っている人以外必要性が無ければ話すことはないのだ。
つまり、海外では人との距離が無いあまり、客引きの人たちは自分が行っている行為にそれほど抵抗を感じていない、日本ではそれに若干の抵抗がある故あまり客引きが無いのではないかと感じた、今回の出張であった。客引きは面倒くさいし、いやだが、誰にも話しかけられないのもさみしい。贅沢を言いすぎてる感じもする。。。
しかし、出張をして一番に感じることは、仕事であれ旅は
楽しいということだろう。(笑)
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本当にそうですね。人との距離を感じます。言葉を投げかける勇気と気配りが大切で、自然にできる人がいると嬉しい。マザー・テレサが言っていた。「豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ。物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。日本のみなさん、豊かさの中で貧しさを忘れないでください。」
日本人って恥ずかしがり屋が多いんですよね。外国に行くのもグループツアーが多いし。現地の人とあまり話さないし。ホントにもったいないと思っています。