みなさん、ラ・コルメナという場所を耳にしたことはありますか?南米パラグアイという国の地名で、首都から二時間はなれたところに位置します。1936年パラグアイで初めて日本人移住地として開拓された場所です。知らない人も多いと思うので少し説明すると、戦前から戦後、日本が失業率と低い給料に悩まされていたとき、政府の海外移住事業団(現在のJICA)が乗り出した政策が海外への出稼ぎプログラムです。主にブラジル、ペルー、ボリビア、そしてパラグアイで行われたもので。各国が日本人家族を受け入れ仕事を与えるものでした。しかし、来てみればジャングルのど真ん中に置かれて0から開拓をしなければならないところや、ほとんど無給料で働かせるところもあり、血汗かいて成功してきた各国日系社会の歴史があります。もっとくわしくは海外移住資料館のウェブサイトパラグアイ日本人連合会、をご覧ください

妻の実家がここラ・コルメナ(日本語で蜂の巣という意味:蜂蜜もいっぱい取れるし、日本人が蜂のように働くため)にあるので次男の出産と私の事業展開をきっかけに、日本での8年間の生活に終止符を打ち数ヶ月前から一時滞在しています。九月にはチリに移るのですが、それはまた違う記事でお話しします。

前にも話した通り、私は日系チリ人です。しかし、父の転勤もあってか日系社会と関わったのは大学生の時以降で、実際に日本人移住地に住んだことがありません。なので、率直にびっくりしたこと、関心したことを紹介したく今回の記事を書いています。たぶんこれを読む日本のみなさまも知らなかったことがほとんどだと思います。ただ、注意して欲しいのはこれはあくまで私のラ・コルメナの経験なのですべてがこうであるとは考えないでください。他の移住地では違いますし、各家でも違いがあるのだと思ってください。

  • 大抵の日系パラグアイ人は日本語、スペイン語、グアラニー語が話せる!

この国は南米でも珍しくスペイン語だけでなく、先住民の言葉グアラニー語が国の言語でもあります。それに加えて日系パラグアイ人は渋谷の日本人の日本語よりも綺麗な日本語で話すことができるのです。パラグアイ人と話す時はスペイン語とグアラニー語をまぜて話すし、日系人同士では日本語とグアラニーを混ぜて話し、海外からきた日本人のお客さんには綺麗な日本語で話します。ラ・コルメナを歩いていると普通に日本語が飛び交うのが不思議でたまりません。これが出来るのは日本語学校と団結した日系コミュニティーがあるからだと思います。ときどき、団結しすぎて移住地内と移住外の壁が厚すぎる時もあり問題になったりもします。
  • すべてが手作りの贅沢な和食が食べられる

まさか南米のど真ん中でこんなに美味しい日本食が食べられるとは思っていませんでした。パラグアイに移住した日本人たちはさぞかし和食が恋しかったのか、輸入に頼らず食材をすべて自分たちで作れるようになりました。みそ汁は味噌から作り、醤油、トンカツソース、お餅、ラーメン、納豆などすべて原材料から作っているんです。各地域で作る食材ががあってそれをみんなで分けたり売ったりして美味しい日本食を日系の奥様方が作って行くのです。お金ではとても買えない「究極の日本食」をパラグアイで食べた気がします。
  • 家の番犬がときどきすごいものを持ってくる

arikui

はい、今日はアリクイを持ってきて私たちに自慢していました。家の近くに埋めました。

世界一のバーベキューが食べられる

パラグアイの世界最大バーベキュー
パラグアイという国は人口の3倍以上に牛がいるのです。なので、肉に関してはなんでも大量。これでもかと思うくらいのアサードと作ったりするのですが、一番ビックリするのが数年前に行われたギネスブックに載った世界一のバーベキューです。毎年行われるパラグアイ万博の中のイベントでした。

最大級の川魚ドラードが釣れる、食べられる(時もある)

ドラード!

パラグアイは内陸にあるため海がないのですが、たくさんの川に恵まれています。地下水もたくさんあり、今後世界で水戦争があっても困らない国の一つです。その大きな川のひとつがパラナ川なのですが、そこで捕れるのがこの大きなドラードという魚です。黄金の魚という意味の名前ですが、見ての通り本当に綺麗な皮をしてるのです。釣るのがとても楽しいため乱獲に会い現在は釣る時期を規定しているそうです。こんな魚が普通にスーパーで売っていたことにビックリです。
  • お城が建っている!?パラグアイの御影城

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はい、正真正銘のお城です。ラ・コルメナから1時間したところにこの本物の日本のお城が建っているのです。所有者は「世界のすごい日本人」にも出た前原社長です。彼は一代で卵ビジネスを成功させ、いまはYemitaというブランドでパラグアイで出回る卵の70%を生産しています。残念ながらお城が出来るまえに他界したのですが二代目のビクトル前原氏があと少しでこのお城を完成するそうです。建築家を日本からよんでまで建てた理由は「パラグアイ人に日本人として感謝したい、新しい観光名所を作り日本人をたくさんこの土地に招きたい」ということです。ここでもっと写真が見れます。
  • 道路の名前に日本語名が多い

ラ・コルメナは0から作った日本人移住者の町なので、その開拓者たちの思いと苦労を忘れないためにも彼らの名前が道路名になっているそうです。
  • 隣のトトロのような風景がたくさんある

毎朝息子と散歩するのですが、本当に綺麗な風景がたくさん見られます。
  • 野菜やフルーツが食べ放題!

 パラグアイ日本人移住地のほとんどが農家なので、いろんなフルーツや野菜が無料で手に入ります。妻の実家がメロン、大根、ピーマン、ズッキーニなどを作っているからだけではなく、まわりの知り合いの(ほとんどみんな)家族がいろんな野菜や果物を週に数回お裾分けにくるのでいろんなものが無償で食べられます。メロンの食べ放題は本当に嬉しかったです。

  • 50cm以上の蟻塚がボコボコ出ている!

シロアリはすごく小さいのにこんなどでかい山を作ってしまいます。人間が作る世界一高いタワーよりも数倍大きいのです。
  • パラグアイにも「富士山」がある

ラ・コルメナ移住地は東(ビジャリカ方面)や北(イビチミ方面)に山景が見え、広大な南米大陸においても祖国日本の面影を感じさせるたたずまいで、1936年の入植候補地の最終調査および選定にあたっては、その様相が最終決定の一つの要素となったといわれています。中でも移住地の西南にあるセロ・アプラグアという標高300メートル程度の小高い山は、その姿がどことなく富士山を感じさせ、その後も「コルメナ富士」として日本人移住者達の望郷のよすがとなりました。
  • 町を挙げての運動会がある!

本当に楽しかったです。数年ぶりに運動会というものに参加したのですが、それがパラグアイでの参加とはいつ予想できたでしょうか。しかもラ・コルメナの町を挙げての運動会なのでかなり盛り上がりました。各地区に別れ日本語学校の子供だけでなく、大人やおじいちゃんおばあちゃんまでが参加する特別な運動会といえるでしょう。この運動会は地域の人の繋がりを保重要はイベントなのだと思います。各協議で子供だけでなく、大人も子供にもどって参加している光景を見て感動しました。もちろん僕も参加しましたが、最後の100mリレーでねん挫しました。あはは。運動会は本当に感動したので、別途記事を書きたいと思います。
  • 子供の誕生日は盛大に行われる

息子の2歳の誕生日会

子供たちの誕生日は本当に盛大に行われます。こんなに盛大に行って、お金はどこから?と心配して妻に聞いたのですが、お金はほとんどかからなく。場所はラ・コルメナ日本人会館で行われ(会員は無償で使える)、料理は家族や親戚みんなで作ります。デコレーションもみんなで作るので時間はかかるのですがとても楽しい時間です。 もうパラグアイでの生活があと2週間を切ったところですがあまりにも幸せな時間をここで過ごしたので離れるのがとてもとても惜しいです。空港ではみんなで大泣きすると思います。このラ・コルメナでの100日滞在は私にとって深く自分と家族の人生と今後やっていく仕事に関してよい考える時間になったと思います。ここで感じたこと、思ったことを大切にして今後生きて行きたいです。 ここまで読んでくれてありがとうございます。

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Chileno-Japonés trabajando siempre en acercar más Japón a Latinoamérica y viceversa. 南米と日本を繋ぐ仕事をしています。

No Comments

  • Arly Lopez says:

    Wow Increible amigoss!!! 🙂 Orgulloso de ustedes, su bella familia y cultura 🙂 un ejemplo realmente!!

  • Nilda Nahoko Seki Nara says:

    ちなみに前原弘道氏が完成させようとしているお城の正式名は、御影城です。日本から御影石を持ってきていることも影響している。

    • Akira Uchimura says:

      Nildaさん!メッセージありがとうございます。速攻名前を変えました。パラグアイ本当に好きです。毎年の年越しはラ・コルメナで過ごすと思います。(^^)

  • Take starchild says:

    いい。いい写真だ。そして、子供の誕生日を皆で全力で祝うってのがいい。多夫多妻制の民族の長老に、ある未婚の日本人女性が「どうやって自分の子供だってわかるんですか?」と尋ねたら、長老はこう答えた
    「子供はみんなの子供。みんなで育てるから何も問題ない。」
    その長老に来ないかと呼ばれている俺・・・

  • 康二 澤木 says:

    蟻塚を覗き込む坊やの姿がとても自然で可愛いね。

  • こんばんは。アリクイって、すごいですけど、笑ってしまいました(*^。^*)

  • エリシール says:

    はじめまして。ムヒカ大統領のスピーチの翻訳を拝見しました。
    感動しました。私にも1人子供がいます。
    もっと欲しいと思いますが、現代に子供を生み、その子らが
    こういった社会環境のみでなく、自然環境の未来をも考えると
    幸せになれるのだろうか・・・と。
    各国で幼少時代を過ごした知人が、唯一「ハポネス」「チノ」と
    言われなかったウルグアイ。気にはなっていました。
    読んだばかりでまだ色々な考えが頭を回っています。
    また、ぜひコメントさせて頂きたいと思います。
    そしてアリクイにも衝撃を受けましたな。

  • 大森 健策 says:

    私の母がラ・コルメナ出身で私も何度か行ったことがあるのでとても懐かしく思いながら読ませて頂きました。また行きたいなパラグアイ(*´∀`*)

  • Sumiko 090-4381-1353 says:

    グアラニー語が得意で日本に住んでらっしゃる方いらっしゃいますか?
    至急探してます!!お電話ください。

  • Sumiko 090-4381-1353 says:

    グアラニー語が得意で日本に住んでらっしゃる方いらっしゃいますか?
    至急探してます!!お電話ください。

  • かつ says:

    南米で手作りの味噌なんか食べて大丈夫でしょうか?
    日本の「ニホンコウジカビ」はアフラトキシンを作りませんが、海外で味噌醤油文化が出来なかった最大の理由は、このカビ毒ですので。自然界では、最強の発がん性を示します。

    • かつさん、ご心配させてすみません。しかし、パラグアイの日本人移住地では約80年前から現地で味噌を作っていて、そのころからいる一世や二世はまだ元気に暮らしている人が多いですよ。長寿が多いです。詳しくは知りませんがそのような心配はないと思います。

  • Miyoko Goto says:

    日本人の移住協定って今でも利用可能でしょうか?スイスに政治亡命後、数年東ヨーロッパを彷徨っているような身ですが、アメリカの大学でCIAの人体実験に遭って、CIA関係者の人類学部教授陣を訴えてたりしましたが、犯罪歴はありません。警察に盗難・暴行の被害届は数箇所で出しました。創価学会関係者、中国人や韓国人関係者がよく嫌がらせに出没してる状況です。国籍を変えて、できれば身辺の安全から日本語名とか捨てたいんですよね。こういった形での移住も可能でしょうか?英語、ドイツ語、フランス語など少々話しますし、Busuuでスペイン語を習ってます。こういった状況で、移動しても安全でしょうかね?私自身はカソリックで、パパ・フランチェスコもローマ、ティラナにて、拝見してます。

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